世界で一番はじめに考えた人はどのように考えたんだろう?〜2月教室レポート〜

2月教室レポートです。

 

※下記の要約には、講師の小野田さんの話を聞いた私(土橋)の解釈が含まれています。小野田さんの直接の発言については、黒太字に記しています。

 

 

教室前半では「測ること」、「数えること」という数学の概念について考えました。

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 「比べること」と「測ること」

 

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はじめに、上の二本の直線と曲線について、どちらが長いのかを確かめるにはどうすれば良いかということを考えました。

 

直線については、重ねることでだいたいの長さの差が分かります。

 

じゃあ曲線の方はどうやって比べるか?

 

ここでより正確に比べる為に、測るという概念が出てきます。

 

測る為にはどうすれば良いか?

 

そうすると、シンプルに考えると、一番小さいものを単位とするという発想が出てくると思います。

 

じゃあどうやって測るか?

 

皆さんも是非考えてみてください。

 

<ヒント>

曲線の端を結ぶ

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さらにピタゴラスの定理を使って、斜辺の長さをもとめる。

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この作業を無限に繰り返していき、斜辺の長さをたし合わせたものを比較すると、どちらが長いかを確かることができます。

 

これを線形近似というそうです。

 

無限に近似させていって、そうして測る。

 

これは微積分の元になった発想です。

 

2つのものをどうやって比べるか?という人間の素朴な発想が数式になっただけ。

 

2つの長さを比べるということを万人に分かるように伝えるにはどうすれば良いか?

 

もし自分が身振り手振りで伝えなくても分かるように。 

 

そうして生まれたのが数学です。

 

だから数学で証明されたことは、1億年後も変わりません。これが物理学では、新たな実験結果、観測から10年で変わってきます。他の科学もそうですね。すごいですね!数学って。

 

 

 

測ることと数えること

 

今度は「数える」ということについて考えました。

 

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さっきは、直線aと直線bの長さを比べて測るということを行いました。

 

上の図でaとbを重ねてみれば、aよりbの方が長いということが言えます。

 

今度は、aとb上に特定の点をとり対応関係を考えてみます。

 

aとbの直線の端、真ん中、さらにその真ん中と点をとり、対応させていくと、全ての点が対応しています。

 

さらにこの図の頂点では、aとbの各点が一点と対応しているように見えます。

 

長さが違うのに、どうしてこんなことが起こるのでしょうか?

 

長さを「測る」ということと、点をとり対応させる「数える」ということには何か溝があるようです。

 

ではどんな違いがあるのか?

 

 数えることを数直線に対応させて考えてみます。

 

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まず、1、2、3、、、と数えられる「自然数」があります。

 

さらにマイナスも含めると、「整数」です。 

 

次に1/2   、2/3   、 1/4など自然数を分割してできる分数「有理数」というのが考えられます。

 

でもこれだけでは、この数直線は埋まりません。

 

それは無理数が存在するからです。

 

これは、ピタゴラスの定理から発見された数です。

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ピタゴラスの定理 - Wikipedia

 

数直線の中にはこの無理数も含まれます。

 

では、無理数有理数はどちらが多いか? 

 

結論、無理数の方が多いそうです。

 

これは19世紀に活躍したドイツの数学者カントールによって証明されました。

 ゲオルク・カントール - Wikipedia

 

有理数は一対一の対応関係がつけられる集合で、これを可算と言います。

 

一方無理数はそうでない集合で非可算というそうです。

 

これについては僕自身よく理解できていないのですが、どうやら上に見た三角形の点の対応図では、有理数の観点からのみ見た図で無理数が考慮されていないものだということが分かりました。

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前半の授業ではこのようなことを皆で考えました。

 

数学は、現実からかけ離れたややこしいものではなく、人間が素朴な発想を元に誰にでも分かるるように普遍化した概念だということでした。

 

このように始め人はどのように考えたのかと素朴に考え、それを伝える為の論理的な考え方を身につけることでどんな本や論文でも一人で読めるようになってくるそうです。

 

こういったことを今後こういった内容を積極的に発信していくそうなので、

 

またこちらのブログでも紹介しますね。

 

 

 

 

教室後半は実技です。 

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フォノグラムで等音板を作っていくと、現在の心身の状態が板に現れます。 

 

そうすると、人によって全然違うものができるのではないかと思われるかもしれません。

 

でもそうはなりません。

 

尺度が変わると、測ることができませんが、同じ尺度の定規で測り続けることができれば、どんな定規を使っても、最終的には同じ状態の等音面になります。

 

どんな状態から始めても、定規を細くしていくとより精度の高いものになり、最終的に普遍的な形、状態の等音面ができるからです。

 

このように一定の尺度を持って、作っていくのが等音面です。

 

今の状態がどのような状態であっても、その状態を保ちながら作業していくことが大切になります。

 

最終的には、針の上に針を立てるような精度が必要になってくるそうです。

 

腕、足、腹、体全部で感知する力を養う必要があります。

 

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作成中の等音板。これに圧電スピーカーをつけると、共鳴力の高い音がでます。 

 

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上の図形のフォノグラム。

 

 

投稿者:土橋 健一

 

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踊る星を生むためには自分の中に混沌を抱えていなければならない。〜1月教室レポート〜

1月教室レポートです。

 

※下記の要約には、講師の小野田さんの話を聞いた私(土橋)の解釈が含まれています。小野田さんの直接の発言については、黒太字に記しています。

 

 

教室前半は、「学ぶってどういうこと?」というテーマを話し合いました。

 

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この教室では、身体の状態を観察し、その感度を高めていくことで身体を整えていくということを行っています。

 

そうすることで、楽器製作をはじめとして、様々な技術の根本的な向上につながるからです。

  

でも普通は、「楽器製作の技術と身体の状態が関係している」という概念そのものが存在しないと思います。

 

つまりそこに問題意識はありません。

 

でも、何かを学ぼうというときには、この問題意識が必要です。

 

だから伝える側の方は、問題意識を持ってもらえるような伝え方をする必要があるし、

聞く側は、純粋に疑問を持とうとする姿勢が必要です。

 

ただ受身的に話を聞いているだけでは、その内容は素通りにしてしまう。

 

まずは疑問を持つこと。

 

そして、その疑問を自分で検証する方法を見つけるということが学ぶ上で大切なのではないだろうか?

 

今の教育では、学ぶということは、話を聞いてその場で理解することだと捉えらている傾向がある。

 

そして「理解する」ということは、疑問や問題に対してすぐに答えが出るものだと考えられているのではないだろうか?

 

でも聞いてその場で理解できるということは、今までの自分の尺度で解釈しているだけだから、それは新しいことを学んだということにはなりません。

 

本当に何か新しいことを学ぶということは、未知のものを受け入れるということ。

 

新しく入ってきた未知ものと既知のものが自分の中に混在するということ。

 

そこには矛盾が生まれます。

 

それは苦しいことだけど、矛盾を自分の中に抱えながら進んでいけることが大事。

 

「踊る星を生むためには自分の中に混沌を抱えていなければならない。」

                         ニーチェ

 

「理解すること」とは、すぐに答えが出てくるものではなく、一生かかって作っていくものです。

  

 

教室後半は等音面による楽器製作です。

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作業風景

 

「感度を高める。」

 

普段私たちは感度を下げて生きています。

 

それは、身体に対する違和感をあえて感じなくしようとすることだったり、色を見たり音を聞いたりするとき、細かい違いに気を配らないことだったりする。

 

等音面を作る、フォノグラムの図形を描けるようになるには、違和感に対する鋭敏さを養っていく必要があります。

 

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自分の感度が上がれば、何をするにしてもより精密な作業ができるようになります。

 

これは、一生かけて育てていく能力。

 

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姿勢を整え、正中を作ると、感度は高まります。

 

そして自分の身体を音のセンサー、アンプ代わりにする。

 

そうすると、フォノグラムの図形も取れるようになる。

 

その状態で楽器の製作を行うとより精密な質の高い楽器を作れる。

 

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「呼吸の話」 

 

吸っている時と、吐いている時では、身体の状態は変わります。

 

それは吸うとき吐くときの体積によって身体の状態が変わるからです。

 

呼吸にはおもいっきり吸う(MAX)、おもいっきり吐く(MIN)のレンジがあります。

 

そこで身体の状態が崩れてしまうと、安定したパフォーマンスは発揮できません。 

 

なので一番大きく吸ったとき、吐いたときでも安定した状態が作れるように調整していくようにします。

 

どの状態でも身体に渦(歪み)がない状態を作れるように、等音面の風船を作るようなイメージです。

 

これができると、逆に呼吸だけで全身を調整していくこともできるようになります。

 

呼吸法などで、イメージや感覚を使って行うものがありますが、言語化された感覚やイメージは結果的に起こるものです。

 

これを頼りにするとイメージが先行して本質からずれていくことになります。

 

だから、イメージより呼吸によって起こる現象(フォノグラムの図形)を手掛かりにして調整していくようにします。

  

 

身体が歪んだ状態で何かの作業をすると情報処理も歪んだ状態で行われることになります。

 

でも、身体を等音面にすることで、情報処理はより正確でスムーズになり、あらゆる技術、能力が根本的に向上します。

 

 だから一番大事なのは、コンディションを整えること。

 

コンディションを整えれば後は応用するだけです。

 

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上の板のフォノグラムの図形を描いたもの。

 

 

 

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12月教室レポート〜身体の無意識に使えていない部分を意識化して運動効果を高める秘訣〜

12月教室レポートです。

 

※下記の要約には、講師の小野田さんの話を聞いた私(土橋)の解釈が含まれています。小野田さんの直接の発言については、黒太字に記しています。

 

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(等音面スピーカーのデザインの一例)

 

前半は等音面のスピーカー、ヴァイオリンを制作するために必要な身体感覚を養う体操を行い、後半は楽器制作を行いました。

 

 

私たちは、普段無意識に身体を動かしています。

 

でも目を閉じて身体を観察すると、普段は気づいてないことに気づけます。

 

椅子とお尻の接触、足裏が床についていること。

 

目を開けているとあまり意識しない部分です。

 

人間は無意識に行っている部分が多い。

 

目を閉じて、身体の中を観ながらゆっくり動くことで、無意識に使っていない部分を活性化させることができます。

 

そうすることで、身体全体が温まり情報の伝達スピードも上がります。

 

ダイエットをしたいという時に、どんなに激しい運動をしても、無意識に使えていない部分が多いと、代謝は上がらず脂肪は効率的に燃焼しません。

 

無意識に使えていない部分というのは脂肪の貯蔵庫になっています。

 

運動する前に身体全体を目覚めさせておくことで代謝が上がりダイエット効果も高まります。

 

ダイエットだけでなくどんな運動をする時にも、運動前に無意識に使っていない部分を活性化しておくことで運動能力は格段に向上します。

 

今回の教室では、そのように無意識に使えていない身体の部分を活性化させる体操を行いました。

 

①背骨の伸縮運動

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 やり方は頭を突き上げる、骨盤を丸くする動きをゆっくり繰り返す。

 

しばらく行っていると手足が暖かくなってきます。

 

背骨の動きが全身と関係しているからです。

 

意識できていない部分を目覚めさせるにはゆっくり動くこと。

 

動きの中の差を認識すしようとします。

 

痛い楽、重い軽い、明るい暗い感じがするなど 

 

繰り返していると、その差がはっきり分かるようになってきます。

 

そして、より微妙な動きで差を感じるようになってくる。

 

特に差が出る境目を認識しようとすることが大事です。

 

側から見るとほとんど動いていないように見えても本人にははっきりと明暗が感じられるます。

 

ゆっくり動けば動くほど感受性が養われます。

 

この感覚を養っていくことでフォノグラムの図形を取る技術が身についてきます。

 

座禅はまさにこれと同じことをやっていて、止まっているように見えてずっと内部では動いて調整し続けている動きです。

 

②足指のグーパー

 

足指でグーパーし、吸うとき足の甲側に気を感じるように、吐くとき足裏に気を感じるようにする。

 

③手指のグーパー

 

手指でグーパーし、吸うとき手の甲側に気を感じるように、吐くとき足裏に気を感じるようにする。

 

④胴体ををねじる

 

胴体(背骨と骨盤)を左右にゆっくりねじる動きを繰り返す。

 

 

このように全ての関節をゆっくり動かしていきます。

 

軽く感じる方に逃げるように動くのが大事。

 

 全ての動きで緊張度の変化を全身で感じるようにします。

 

どの動作もどこにでもある体操と見た目は同じですが、それをどれだけ繊細にゆっくり自覚して行えるかがポイントです。

 

最後に、もう一度身体を内観して身体が活性化した状態を認識します。

 

この身体全体が活性化した状態で、物事を行うと最も効率的に最大限能力を発揮できます。

 

また将来の目標やなりたいイメージを想像する時もこのような体操をやった後に、イメージすると実現しやすくなります。

 

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教室の様子

 

 

21世紀は整体も自立的にやる時代になる。

 

健康について理解し、それを実現するためのやり方を一人一人が学ぶ時代。 

 

自分で自分のことをなんとかしようとする気持ちが身体を治します。

 

健康のためには運動した方が良いんですかね?っていう質問してくる人がいますが、これは質問自体がそもそもおかしい。

 

運動するかしないかは自分が決めること。

 

自分が運動をしたいか、したくないか、そっちが大事で、それは自分が知っていること。

 

その責任を持つのは自分自身です。 

 

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投稿者:土橋 健一

 

 

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感謝を持ちながらも発想は自由に〜11月教室レポート〜

11月教室レポートです。

 

※下記の要約には、講師の小野田さんの話を聞いた私(土橋)の解釈が含まれています。小野田さんの直接の発言については、黒太字に記しています。

 

今月は、僕(投稿者:土橋健一)の相談から始まりました。

 

仕事で、大学に教えに行っているのですが、大勢の学生の前で話すとどうしても自分が緊張してしまう、生徒がなかなか話を聞いてくれない、どうしたら良いですか?という質問。

 

小野田さんは、プレゼンや講習をするときいつも即興でやっている。そしてその方がたいて上手くいく。

 

いつも即興でやること。即興でやるためには準備しない。

 

そのためには、相手に寄り添う必要がある。

 

そうすることでその場、その状況にマッチした対話ができる。

 

常に用意してから何かをしようとすることは、自分というものから外に出ないこと。

 

今までの自分の外に出るためには、予測できないカオスの中に入っていくことが必要。

 

人間の脳は常に用意できない状況に対応できるように出来ている。

  

自分が予想もつかないところに飛び込んでいくことで自分は変わっていける。

 

苦手だと思っていることは、実は幻想。

 

本当ではなく、自分が限定しているだけ。

 

その縛り上げている自分を解放することが大事。

 

それには自分の知らない世界に入っていくこと。

 

そしてもう一つは、フォノグラムの身体調整からのお話。

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身体には、力が入っている部分(意識できているor意識しすぎている)と、力が入っていない部分(意識できていないところ)がある。

 

力んでいるところを力を抜くというのは、なかなか難しい。

 

そうではなく、力が入っていないところ=自分では意識ができていないところに意識を置くと、力んでいるところも抜けてくる。

 

同様の話で、脳は大事だと思うこと以外は、ないものとしてしまう特性がある。

 

なのでどうしても人間の見方には盲点ができる。偏った見方になりがち。

 

だから自分の見方以外の見方もあるということを知ってること、そしてその見方を探すことが大事。

 

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(向かい合う顔と見るか、ツボと見るか)

 

身体と意識が互いに関連していることを考えれば、今まで意識できていなかった身体の部位に意識を向けることで、今までの自分の思考や発想とは違う発想ができる可能性がある。

 

 フォノグラムの身体調整によって、意識のバランスが整い今までの自分では、想像もできなかった見方ができるようになるかもしれない。

 

フォノグラムは自分の枠組みの中から出て、自分を自由にする技術とも言える。

 

 

 「先人に感謝しつつも、その情念から自由になって発想していくこと」

 

普遍的な真実というのは、個人の成果だけではなく、先人の成してきたこと、発見してきたことの積み重ねによって明らかになっている。

 

だから普遍的な真実をぞんざいに扱うと、先人の成してきたことをぞんざいに扱うことになる。

 

小野田さんの体験から、自分自身がイラっとすることと、自分自身のことではなく、普遍的な真実に対して敬意にかける言葉を聞いた時にもイラっとすることがある。

 

普遍的な真実の後ろには歴史がある。

 

歴史があると、情動、情念がある。

 

過去の人たちの想い(重い)がそこにある。

 

その情念は常にこの空間に存在している。

 

だから普遍的な真実に対して敬意を欠いた発言をすれば、その情念がイラっとする。

  

そこを無視して、進んでいこうとすると物事は上手くいかない。

 

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感謝することが大事っていうのはよく言われる。

 

でも祈ってるだけでは、新幹線はできないし、スマートフォンは作れない。人の手が介入する必要がある。

 

重力の影響を受けるこの現実の世界では、肉体があり、手を動かす必要があり時間の制限の中で事を成していく必要がある。 

 

1世代では終わらない作業もある。技術を継承しながら、何世代にも渡って物を作っていく、ことを成していく。

 

先人の想い(重い)を受けながら、物事を進めていくことが大事。

 

同時に真実というのは、普遍的なものだから伝承とは関係なしにいつでもどこでも存在している。

 

だから本来、真理や真実は空間や時間の制約なしにいつでも誰でも引っ張り出せるもの。

 

今までの時代は、この伝統や想いに縛られながら格闘しながら物事を進めていく部分が大きかった。

 

感謝することは大切で必要なことだが、これからの時代は、それを踏まえた上でそこから自由になって発想していくことが大事、それが可能な時代になってくる。 

 

投稿者:土橋 健一

 

 

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10月教室レポート〜内観とは身体の緊張度の変化を追い続けること〜

10月教室レポートです。

 

今回は、姿勢の変化やフォノグラムを使った身体の調整を実習しました。

 

※下記の要約には、講師の小野田さんの話を聞いた私(土橋)の解釈が含まれています。小野田さんの直接の発言については、黒太字に記しています。

 

 

「内観とは身体の緊張度の変化を追い続けること」

 

始めに、椅子に座り、前後左右に身体を傾けながら、身体が重く感じるところと軽く感じるところを探し、軽く感じるところで静止するという調整法を行いました。

 

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一番軽く感じるところで、しばらく静止します。

 

静止と言っても、その場所で微妙に動いて一番軽く感じるところをずっと探し続けます。

 

楽なところ(軽く感じる)に逃げていくことで体は調整されます。

 

体が軽く感じるのは、身体の外側の部分が脱力し、中心である丹田に力が集まってくる状態(中心は重くなる)です。

 

気功の訓練をするとき・フォノグラムの図形を描く時は、重く感じるところと軽く感じるところの境目を探します。

 

前回の教室レポートで、止まっているところ、動いているところ、今まさに動こうとしているところの3つの状態があるとお伝えしました。

 

重いところと軽いところの境目が、今まさに動こうとしているところです。

 

その場所はどんどん変わっていきます。

 

その変化を探し続けます。

 

写真では姿勢は傾いていますが、身体の内側は微妙に動き続け、調整が行われています。

 

身体を調整するときに大切なのは、見た目の姿勢ではなく身体内部が整うかどうかです。

 

しばらくこの位置で軽い感覚を探し続けていると、身体が調整され丹田に力が集まってきます。

 

そうすると、まっすぐな姿勢に戻った時も楽で安定した姿勢を維持できるようになります。

 

小野田さん曰く、

 

「内観とは身体の緊張度の変化を追いかけ続けること」

 

だそうです。

 

とてもシンプルで誰でもできることです。

 

崇高な意味をつけたり、色々複雑な解釈をつけたりする必要はありません。

 

ただ身体が軽くなり、気持ちよくなる場所を探し続けるだけ。

 

私たちは、何かをするときついつい頑張って(身体を緊張させて)目的を達成しようとします。

 

でも、身体の状態を整えるという観点からいうと、ただ楽な方(軽く感じる方)に逃げて行けば身体は自然に整ってきます。

 

緊張してバランスの悪い身体に鞭を打ち、無理に頑張るよりも、身体の状態を整えてから何かをする方が結果として、良い仕事ができるのではないでしょうか?

 

 

続いて、手のフォノグラムの図形を取り、調整する練習を行いました。

 

昔から気功や太極拳などでは、手指の運動が大事なトレーニングの一つとされているそうです。

 

人間の身体は、フラクタルという特徴を持っています。

 

つまり、身体のある部分の情報が、体全体の情報を含んでいるということです。

 

なので、手の調整をするだけで、身体全体の調整をすることができます。

 

下の写真は僕の手のひらのフォノグラムを描いたものです。

 

上の写真の方は、渦まき(重いところ)がたくさんある状態。

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下は調整後の図形です。渦が少なくなって円らしきものが描けます。

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写真で中心の濃くぬられているところ(重くなっているところ)は、手の真ん中の労宮と言われるツボがあるところです。 

 

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このツボは、身体の中心にある丹田と対応しています。

 

このように手の調整をするだけで、身体全体を調整することができます。

 

 

楽器製作も身体のバランスが悪い状態だと、その身体の状態が楽器に表れてしまいます。

 

より共鳴力の高い楽器を作るためにも身体の調整を始めに行っておくことが、土台になります。

 

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 投稿者:土橋 健一

 

 

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自分自身を観察することが自分に影響を与える〜9月教室レポート〜

9月の教室レポートです。

 

前半は小野田さんのお話です。

 

※下記の要約には、小野田さんの話を聞いた僕(土橋)の解釈が含まれています。小野田さんの直接の発言については、黒太字に記しています。

 

この教室は等音面の楽器製作を一つの目的としていますが、共鳴力の高い等音面を作るためには、製作者自身の体も共鳴力を高める必要があります。

こんかいは、体の共鳴力を高めていく(体を整える)ことをテーマに話が進みました。

 

 

「自分自身を観察することが自分に影響を与える」

 

量子力学では、人間が観測する影響で、超微小な量子の世界では実験データが変化してしまう現象が確認されています。

 

私たちが認知したり感じたりすることが現象に影響を与えているということです。

 

ここで注目したいのは、私たち人間は、外の世界の現象だけでなく自分自身も認知できるということです。 

 

 つまり、自分自身を観ることが自分にものすごい影響を与える可能性があるということです。

 

なぜ昔の人がひたすら座って内観をしていたのか?

 

その理由がここにありそうです。

 

物理学者などの科学者は外の世界を対象に観察します。

 

一方で禅僧は、自分の内面の世界をひたすら観察します。

 

不思議なことに、現代物理学(量子力学等)の研究と、東洋思想の見解が一致しているということが言われています。 

 

アメリカの数学者フォン・ノイマンは「(電子の)波の収縮は人間の意識の中で起こる」と主張し、そして「量子物理学の最大の発見は、これまで考えられたことのない精神力の自覚である。すなわち実在が意識を形成するのではなく、その反対に意識が実在を形成するという自覚作用が深く潜在しているのである。こうした意味において、現代物理学の哲学は、悟りの哲学である仏教と区別できなくなりつつある」

と述べています。

 

量子力学では私たちが観測して初めて実在を形成する(世界を作る)といい、仏教では、実在とは空である(だから私たちの見方によって世界は変化する)と言います。

 (↑上は僕の個人的解釈です。)

正確にはわかりませんが、なんとなく同じようなことを言っているのかなという気はします。笑

 

外の世界を観察しても、内の世界を観察しても最終的に巡り逢うのかもしれません。

 

一人の人間の存在の中に、この宇宙の全ての情報が含まれている。

 

だから自己観察さえすれば良い。

 

私たちの普通の感覚ではあまりピンとこない主張ですね。

 

小野田さんによると、これは、フラクタルという概念から一つの説明ができるそうです。

フラクタルとはフランスの数学者ブノワ・マンデルブロが導入した幾何学の概念で、 図形の部分と全体が自己相似になっているもののことを言います。

 

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フラクタルな図形)

 

人間を含めた世界はフラクタルを内包しているので、一人の人間の存在がこの世界のミクロからマクロまで全ての情報を相似形として持っているのです。

 

自分の中に宇宙の全ての情報があるなんて、ちょっと信じらえませんが、ロマンがありますね。

 

そして、フォノグラムはその情報を意識的にコントロールし、積極的に変化させていくことができる技術です。

 

 

「我思うゆえに我あり」

 

フランスの哲学者デカルトが「方法序説」の中で唱えた命題ですが、この命題を

 

<(「我思う」ゆえに我あり)と思う」ゆえに我あり」と思う>我あり、、、

 

とすると無限に続けていくことができます。

 

これを繰り返している状態は、意識がたくさんありフォノグラムでは渦がたくさんある状態です。

 

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私たちが、あーでもないこーでもないと色んな考えがあってごちゃごちゃしている時は、その渦を行ったり来たりしている状態です。

 

この渦が解けて、意識が統一された状態ではフォノグラムはトーラス図形が描けます。

 

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これを彫刻を彫るという作業を例に考えてみます。

 

(「仏像を彫り、彫った仏像を見る」そして納得がいかない箇所をまた彫る)そしてまたそれを見る、、、、これを繰り返していくと最終的にその人の納得する形が現れ作品が完成します。

 

この時フォノグラムの図形トーラスを描く(対称性の高い)状態となります。

 

「我彫るゆえに我あり」そしてまた彫る、、、

 

という感じですかね。

 

でももし始めから渦のないトーラス状態で作業ができたらどうでしょう?

 

たくさん渦がある状態では、なかなか良い仕事はできません。

 

渦を解き、意識の統一された集中状態に入ってはじめて何か価値あるものを生み出せるようになります。

 

ここからは、具体的に身体の中の渦を消して、身体を整えていく実習を行いました。

 

 

「体の共鳴状態を強くしていく」

 

フォノグラムとは意識を拡大させる方法、体を自由に動かせるようにする方法とも言えます。

 

それができないとヴァイオリンを彫ることもできない。良い仕事はできません。

 

一般には、私たちの意識が体をコントロールしていると考えられていますが、実際には体の状態が意識を作っているというのが本当です。

 

体の状態が良くなければ、良い考え、創造的なアイデアは湧いてきません。

 

 

さて、私たちは、普段自分の体をどのように動かしているのでしょうか?

 

普通は無意識に動かしていると思います。

 

コップを持つ時に体のどの筋肉を使って持っているといちいち確認している人はほとんどいないでしょう。

 

では動くとはどこがどのようにして動かしているのでしょうか?

 

一般的な説明では「脳が体に指令を送って動かす」ということになると思います。

 

じゃあ脳は何が動かすのか?

 

実は、ここには意識、心、サイコキネシス(超能力)が働いています。

 

誰もが当たり前のように体を動かしていますが、体を動かしているのは、実は超能力(意識の力)なのです!

 

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この体を動かすという当たり前のことをじっくり観察しながら、体の状態を整えていく方法が、昔から伝わる気功や太極拳でした。

 

今回は、指を1本ずつ動かすエクササイズを行いました。

 

単純に指を1本ずつ回すだけでの動きですが、指を回す時に指だけでなく、全身で動きが感じれるように、体の各部分に意識を向けていきます。

 

指を回しながら、前腕、肩、首、腰、脚と意識する部分を変えていきます。

 

そうすると、指の動きが次第に全身で感じ取れるようになってきます。

 

このエクササイズを手の10指全てで行っていきます。

 

非常に単純なエクササイズですが、意識を介して行うことで、脳が活性化されものすごい運動になります。

 

私たちの体の状態は、

 

①止まっているとき

②今まさに動かそうとするとき(be about to)、

③動いているとき

 

の3つの状態に分けられます。

 

気功の動き、気が発生する時は、この②の今まさに動かそうとする時の状態が連続で起こり続けている時です。

 

そしてフォノグラムで描く図形はこの「今まさに」の境界線を描いたものです。

  

 単純な動きですが、意識して行うことで、体全体が活性化し、ものすごい能力開発になります。

 

体の中にこの感覚が育ち共鳴力が高まることで初めて、共鳴力の高い良い楽器がつくれるようになります。

 

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投稿者:土橋 健一

 

教室への参加希望、取材等のお問い合わせはこちらからお願いします。 

www.tomoyuki-onoda.com

 

今この瞬間にいれば「時間」は存在しない!〜8月教室レポート〜

8月の教室レポートです。

 

前半は小野田さんのお話です。

 

※下記の要約には、小野田さんの話を聞いた僕(土橋)の解釈が含まれています。小野田さんの直接の発言については、黒太字に記しています。

 

  

今回のお話で一番興味深かったのは、  

 

不安や期待が時間という概念を作り出す。」

 

というお話でした。

 

別の言い方をすると、

 

「今に没入すれば時間の概念は生まれない。」

 

例えば、スポーツ選手や演奏家が集中している時にゾーンに入るといわれる状態がこれにあたると思います。

 

そのような状態にいる時には、あーやってしまった(過去)、失敗したらどうしよう(未来)というような思考自体がなく完全に今この瞬間に集中しています。

 

そしてこのような没我的集中状態では、フォノグラムの図形は、トーラスや円のような図形が描けます。

 

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面白いなと思ったのは、期待する、希望することも、不安や心配することと同じように今この瞬間から離れることだということです。 

 

考えると当たりまえなのですが、、、

 

世間では、将来のビジョンを持とう、夢をみよう、といったことを良く耳にします。

 

夢や目標を持つのは良いこと、ないとダメなんだよみたいなふうにも聞こえます。

 

でもそれが、将来への不安や心配の裏返しになっていないか?ということに注意が必要です。

 

もし今が満たされていれば、不安も期待もありません。

 

今が満たされていないから将来に期待する。将来を不安に思う。

 

私たちの意識が今ここを離れる時、フォノグラムの図形では渦が出来ます。

  

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 でももし、不安を元にせず、喜びや楽しみを行動の原動力にできたらどうでしょうか?

 

自分の内側から沸き起こる喜びや楽しみを元にして、人生の中でどうチャレンジしていくか?

 

それが元になったら人間は何ができるか?

 

 今に没入することで、その感覚が沸き起こってくるのかもしれません。

 

 

アマゾンの奥地に、過去と未来を表す言葉や概念を持たないピダハンという民族がいます。

 

この民族には精神疾患が存在しないそうです。 

 

過去や未来の概念を持たない彼らには、不安や期待という思考も存在しないのかもしれません。

 

常に今を生きるって、なかなか想像しづらいですが、そんな人間も存在しているんだということを思うと、希望がもてます。

 

常には無理かもしれませんが、1日の内の少しの時間だけでも、今ここにいるという時間を持ちたいなと思います。

 

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「教えることについて」

 

小野田さんが学生の頃、お師匠の数学の先生に指導を受けていた時、何時間も黒板の前で立って考えていて一行も進まないということが何どもあったそうです。

 

ただ先生は待っていてくれた。小野田さん自身が自分で気づくまでずっと待っていてくれたそうです。

 

誰も誰かに何かを教えることはできません。自分で気づくしかない。

 

教師の役割はだた生徒と寄り添って一緒にいるだけです。

 

 

 

教室の後半は、楽器製作を通じたフォノグラムの実技の時間です。

 

身体の調整を先に行うことで、音を聴く感受性を高めることができます。

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身体の状態を感応させることで、一時的に板表面から出ている音(フォノグラム)を聴き分ける能力が高まります。

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彫刻家のMくん、ヤスリで調整しています。

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フォノグラムの図形を取ってみると、

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図形に秩序ができつつあります。音(タッピングトーン:板表面をタッピングして聴こえる音)が徐々にそろってきているということです。

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M君の製作途中の仏像。

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投稿者:土橋 健一