今この瞬間にいれば「時間」は存在しない!〜8月教室レポート〜
8月の教室レポートです。
前半は小野田さんのお話です。
※下記の要約には、小野田さんの話を聞いた僕(土橋)の解釈が含まれています。小野田さんの直接の発言については、黒太字に記しています。
今回のお話で一番興味深かったのは、
「不安や期待が時間という概念を作り出す。」
というお話でした。
別の言い方をすると、
「今に没入すれば時間の概念は生まれない。」
例えば、スポーツ選手や演奏家が集中している時にゾーンに入るといわれる状態がこれにあたると思います。
そのような状態にいる時には、あーやってしまった(過去)、失敗したらどうしよう(未来)というような思考自体がなく完全に今この瞬間に集中しています。
そしてこのような没我的集中状態では、フォノグラムの図形は、トーラスや円のような図形が描けます。
面白いなと思ったのは、期待する、希望することも、不安や心配することと同じように今この瞬間から離れることだということです。
考えると当たりまえなのですが、、、
世間では、将来のビジョンを持とう、夢をみよう、といったことを良く耳にします。
夢や目標を持つのは良いこと、ないとダメなんだよみたいなふうにも聞こえます。
でもそれが、将来への不安や心配の裏返しになっていないか?ということに注意が必要です。
もし今が満たされていれば、不安も期待もありません。
今が満たされていないから将来に期待する。将来を不安に思う。
私たちの意識が今ここを離れる時、フォノグラムの図形では渦が出来ます。
でももし、不安を元にせず、喜びや楽しみを行動の原動力にできたらどうでしょうか?
自分の内側から沸き起こる喜びや楽しみを元にして、人生の中でどうチャレンジしていくか?
それが元になったら人間は何ができるか?
今に没入することで、その感覚が沸き起こってくるのかもしれません。
アマゾンの奥地に、過去と未来を表す言葉や概念を持たないピダハンという民族がいます。
この民族には精神疾患が存在しないそうです。
過去や未来の概念を持たない彼らには、不安や期待という思考も存在しないのかもしれません。
常に今を生きるって、なかなか想像しづらいですが、そんな人間も存在しているんだということを思うと、希望がもてます。
常には無理かもしれませんが、1日の内の少しの時間だけでも、今ここにいるという時間を持ちたいなと思います。
「教えることについて」
小野田さんが学生の頃、お師匠の数学の先生に指導を受けていた時、何時間も黒板の前で立って考えていて一行も進まないということが何どもあったそうです。
ただ先生は待っていてくれた。小野田さん自身が自分で気づくまでずっと待っていてくれたそうです。
誰も誰かに何かを教えることはできません。自分で気づくしかない。
教師の役割はだた生徒と寄り添って一緒にいるだけです。
教室の後半は、楽器製作を通じたフォノグラムの実技の時間です。
身体の調整を先に行うことで、音を聴く感受性を高めることができます。
身体の状態を感応させることで、一時的に板表面から出ている音(フォノグラム)を聴き分ける能力が高まります。
彫刻家のMくん、ヤスリで調整しています。
フォノグラムの図形を取ってみると、
図形に秩序ができつつあります。音(タッピングトーン:板表面をタッピングして聴こえる音)が徐々にそろってきているということです。
M君の製作途中の仏像。
投稿者:土橋 健一